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social studies 【社会科の言葉】 朝鮮の歴史(2) 日本と朝鮮
- 2012.08.26 Sunday
- 社会
- 19:34
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- by アリ
日本と朝鮮との間に起こった歴史上の出来事を簡単にまとめました。
日本と朝鮮
稲作
従来、朝鮮半島を経て稲作が日本に伝わったとされてきたが、最近は、まず東南アジアから日本に稲作が伝わり、その後、日本を経て朝鮮半島に伝わったという学説のほうが有力。
三国(高句麗・新羅・百済)時代(4世紀中頃〜676年)
4世紀、倭国(日本)は伽耶を勢力圏におさめ、百済と結んでしばしば新羅や高句麗と戦った(高句麗の広開土王の業績を記した好太王碑に記述)。
また、日本は百済を通して、漢字(4世紀)や仏教(6世紀)を取り入れた。
白村江の戦い
663年、滅びた百済の再興をめざして朝鮮に出兵した日本軍は、唐・新羅の連合軍と白村江で戦い、大敗した。日本は唐と新羅の反攻に備えて九州に防人(さきもり)を配置した。
新羅(676年〜936年)
日本の非友好国である新羅が朝鮮を統一したので、従来、朝鮮半島沿岸部を経て唐に入っていた遣唐使は東シナ海を渡ることになり、航海の危険が増した。
日本は朝鮮北部に建国した渤海(ぼっかい)と同盟して新羅に対抗した。
9世紀には、新羅の賊が対馬や九州を襲撃する事件が散発した。
高麗(918年〜、936年に朝鮮統一〜1392年)
元寇
1274年と1281年に元が日本への侵攻を試みた(元寇:1274年文永の役・1281年弘安の役)。
元寇は、高麗のすすめに元が応じたもので、高麗と元の連合軍が日本に攻め寄せた。上陸した高麗軍は、特に対馬で残虐な殺戮をおこなったという記録がある。
鎌倉幕府の命を受けた九州の御家人の活躍があり、暴風雨に悩まされた元軍・高麗軍は撤退した。
倭寇
日本の南北朝時代から室町時代にかけて、倭寇が中国や朝鮮半島沿岸で海賊行為をはたらいた。倭寇には日本人、朝鮮人、中国人などが混在していた。
九州探題の今川貞世(了俊)や大内氏は高麗と交渉して倭寇の討伐をおこなったが、高麗は疲弊し、倭寇討伐に功のあった李成桂によって高麗が滅ぼされ、李氏朝鮮が生まれる契機の一つとなった。
李氏朝鮮(1392年〜1910年)
足利義満
李氏朝鮮は室町幕府に対して倭寇の取り締まりを求め、また中国の明の要請もあって、室町幕府3代将軍の足利義満は倭寇を取り締まった。義満は明との間で勘合貿易(日明貿易)をおこなったが、日本と朝鮮との間でも貿易がおこなわれた。
豊臣秀吉(朝鮮出兵)
1592年、豊臣秀吉は明の征服を試み、服従しない朝鮮に侵攻した(文禄・慶長の役)。
日本軍は平壌(ピョンヤン)付近にまで攻め込んだが、明の参戦で戦線は膠着し、秀吉の死によって撤退した。このとき連れ帰った陶工によって日本へ陶芸の技術が伝わった。
徳川幕府
徳川家康は朝鮮との友好関係を回復しようと試み、対馬藩主である宗(そう)氏が外交交渉にあたった。
1607年以降、江戸幕府の将軍がかわるたびに、朝鮮から朝鮮通信使が日本を訪れた。
1764年、朝鮮通信使はサツマイモを日本に伝えた。
日朝修好条規
1875年、日本の軍艦、雲揚号が朝鮮の江華島付近で朝鮮の砲台から砲撃を受け反撃して砲台を破壊した(江華島事件)。
日本政府は朝鮮政府に迫って1876年日朝修好条規を締結し、朝鮮の鎖国政策をやめさせた。
日清戦争(下関条約)
1894年朝鮮南部で東学党に属する農民が反乱を起こし(甲午(こうご)農民戦争、東学党の乱ともいう)、朝鮮政府は鎮圧を清に依頼し、同時に出兵した日本軍と清軍との衝突をきっかけに日清戦争が勃発した。
日本が勝利し、戦後の下関条約で清は朝鮮が完全な独立国であること(清の属国を脱すること)を承認し、日本が朝鮮に対して指導的な地位を得ることになった。
朝鮮は、独立国家であることを示すために、1897年、国名を大韓帝国と改めた。
日露戦争(ポーツマス条約)
中国東北部と朝鮮の支配をめぐって戦われた日露戦争の講和条約、ポーツマス条約で、ロシアは日本の朝鮮半島における優越権を認めた。
日本に併合(1910年〜1945年)
韓国皇帝は、ハーグで開かれた平和会議に日本の干渉を排除するよう要請する密使を送る(ハーグ密使事件)など抵抗したが失敗に終わり、大韓帝国皇帝が日本への併合を要請するという形で、1910年、日韓併合条約が締結されて、朝鮮は日本に併合された。
日本は、朝鮮人に参政権を与え、朝鮮の工業化に努めるなど朝鮮の開発を試みたが、日本語教育や創氏改名をおこなって、後に朝鮮から批判されることとなった。
連合国軍による統治(1945年〜1948年)
1945年、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、朝鮮の北緯38度より北はソビエト連邦(今のロシア)、南はアメリカによって統治された。
韓国と北朝鮮(1948年〜)
1948年、朝鮮半島の南部はアメリカの強い影響力のもとに、大韓民国(韓国)となった。
初代大統領はアメリカから帰国した李承晩(りしょうばん)。
1949年、朝鮮半島の北部はソ連の後押しで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)となった。
初代首相は金日成(きんにっせい・キムイルソン)。
現在の北朝鮮の指導者、金正恩(キム・ジョンウン)の祖父である。
朝鮮戦争
1950年、北朝鮮軍が北緯38度線を突破して南下し、1953年に休戦協定が結ばれるまで、韓国と北朝鮮が戦った。
最初、北朝鮮軍が優勢で韓国南端の釜山(プサン)まで占領したが、国連軍(実質はアメリカ軍)が韓国軍に合流して北上、次に、中国との国境まで追いつめられた北朝鮮軍を中国の義勇軍(実質は中国軍)が救援し、北緯38度を軍事境界線(休戦ライン)として休戦となった。
日本は、アメリカ軍への武器修理や製造で工業生産が回復し、好景気となって戦後の経済復興のきっかけとなった。
また、北朝鮮軍を支援したソ連や中国に対抗するため、サンフランシスコ平和条約や日米安全保障条約が結ばれ、また、後の自衛隊である警察予備隊がつくられた。
李承晩ライン
1952年、韓国の大統領、李承晩が一方的に海上に設定した線。
ライン内の天然資源に対する韓国の主権を主張し、海域内に出漁していた日本の漁船の拿捕、漁民への発砲や逮捕をおこなった。
また、李承晩ラインの内側にある竹島(韓国は独島と主張)の領有化を宣言し、占領した。
日韓基本条約
1965年、日本の佐藤栄作首相と韓国の朴正煕(ぼくしょうき、パクチョンヒ)との間で調印された条約。
日本と韓国の国交を樹立し、日韓併合条約などの戦前の条約の無効を確認した。
また、日本が韓国に援助資金を与えるかわりに韓国は日本への請求権を放棄することを約束した。
(社会科のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
social studies 【社会科の言葉】 朝鮮の歴史(1)
- 2012.08.18 Saturday
- 社会
- 19:05
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- by アリ
2012年8月、韓国の李明博(イ・ミョンビャク)大統領は、竹島(島根県、現在韓国が占領し韓国は自国の領土である独島だと主張)に現職大統領として初めて上陸し、また「日本の天皇は韓国に来たいなら謝罪せよ」という趣旨を述べて日本との間に深刻な外交問題を引き起こしました。
案外私たちが知らない隣国朝鮮、その朝鮮の歴史を簡単にまとめてみました。
朝鮮の歴史
1、箕子朝鮮(きしちょうせん)
歴史書に記述されている朝鮮最初の国家。
紀元前12世紀、中国の殷(いん)の王族である箕子が朝鮮の統治を始めたとされている。
2、衛氏朝鮮(えいしちょうせん)(紀元前194年〜紀元前108年)
紀元前194年、中国の燕(えん)出身の将軍である衛満が箕子朝鮮の王を追放して建国した。
3、漢の直接支配(紀元前108年〜4世紀中頃)
中国の漢の武帝(紀元前156年〜紀元前87年)が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の四郡を置いて、400年間にわたり朝鮮を直轄支配した。
4、三国時代(4世紀中頃〜676年)
4世紀頃、中国の東北地方(満州)から朝鮮北部を支配した高句麗(こぐりょ・こうくり)、朝鮮南東部を支配した新羅(しるら・しらぎ)、朝鮮南西部にあった百済(ぺくちぇ・くだら)の三国が鼎立して争った。また、南部には小国の連合体である伽耶(かや、加羅(から)・任那(みまな)とも言う)があった。
高句麗は広開土王(こうかいどおう)のとき最盛期を迎え、百済は高句麗・新羅と対抗するため日本の大和朝廷と提携した。伽耶は562年、新羅に併合された。
5、新羅(676年〜936年)
7世紀、新羅は中国の唐と協力して高句麗、百済を滅ぼして朝鮮を統一した。
さらに676年、唐の干渉を嫌って唐の軍隊を朝鮮から追放した。
6、後三国時代(892年〜936年)
10世紀、新羅は弱体化して地方に後高句麗・後百済などが興った。
7、高麗(918年〜、936年に朝鮮統一〜1392年)
後高句麗を滅ぼした高麗が新羅を攻め滅ぼし、朝鮮全土を統一した。
高麗は、13世紀にモンゴル帝国(元)の支配下に入った。
8、李氏朝鮮(1392年〜1910年)
14世紀、元が北に去り高麗は独立を回復したが、李成桂が高麗を滅ぼし、李氏朝鮮を建国して中国の明に朝貢した。
李氏朝鮮は、15世紀、世宗のとき最盛期。ハングル文字を作り、儒学を振興し、農業を奨励し、領土を広げた。
17世紀、侵攻してきた清に降伏して清の属国となった。
19世紀末、日本・清・ロシアが影響力を争い、日清戦争後の下関条約で清の属国の地位を離れ、1897年、大韓帝国(1897年〜1910年)と国号を変更した。
9、日本に併合(1910年〜1945年)
1910年、 日韓併合条約により、日本に併合されて日本の植民地となった。
1919年に日本からの独立を図る三・一独立運動が起きている。
10、連合国軍による統治(1945年〜1948年)
1945年、太平洋戦争で日本が敗戦した後、連合国軍により北緯38度線で南北に分割統治(北はソ連・南はアメリカ)され、その後、南部は韓国(大韓民国)、北部は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)となった。
11、韓国と北朝鮮(1948年〜)
1950年、南北統一をめざす北朝鮮が韓国に攻め込み、朝鮮戦争が起こった。
1953年、板門店で停戦協定。北緯38度線に現在の軍事境界線がしかれた。
日本・朝鮮・中国の年表
(日本・朝鮮・中国三国の関係がわかりやすいようにまとめたもので、細部まで正確なものではありません。)
(社会科のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
案外私たちが知らない隣国朝鮮、その朝鮮の歴史を簡単にまとめてみました。
朝鮮の歴史
1、箕子朝鮮(きしちょうせん)
歴史書に記述されている朝鮮最初の国家。
紀元前12世紀、中国の殷(いん)の王族である箕子が朝鮮の統治を始めたとされている。
2、衛氏朝鮮(えいしちょうせん)(紀元前194年〜紀元前108年)
紀元前194年、中国の燕(えん)出身の将軍である衛満が箕子朝鮮の王を追放して建国した。
3、漢の直接支配(紀元前108年〜4世紀中頃)
中国の漢の武帝(紀元前156年〜紀元前87年)が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の四郡を置いて、400年間にわたり朝鮮を直轄支配した。
4、三国時代(4世紀中頃〜676年)
4世紀頃、中国の東北地方(満州)から朝鮮北部を支配した高句麗(こぐりょ・こうくり)、朝鮮南東部を支配した新羅(しるら・しらぎ)、朝鮮南西部にあった百済(ぺくちぇ・くだら)の三国が鼎立して争った。また、南部には小国の連合体である伽耶(かや、加羅(から)・任那(みまな)とも言う)があった。
高句麗は広開土王(こうかいどおう)のとき最盛期を迎え、百済は高句麗・新羅と対抗するため日本の大和朝廷と提携した。伽耶は562年、新羅に併合された。
5、新羅(676年〜936年)
7世紀、新羅は中国の唐と協力して高句麗、百済を滅ぼして朝鮮を統一した。
さらに676年、唐の干渉を嫌って唐の軍隊を朝鮮から追放した。
6、後三国時代(892年〜936年)
10世紀、新羅は弱体化して地方に後高句麗・後百済などが興った。
7、高麗(918年〜、936年に朝鮮統一〜1392年)
後高句麗を滅ぼした高麗が新羅を攻め滅ぼし、朝鮮全土を統一した。
高麗は、13世紀にモンゴル帝国(元)の支配下に入った。
8、李氏朝鮮(1392年〜1910年)
14世紀、元が北に去り高麗は独立を回復したが、李成桂が高麗を滅ぼし、李氏朝鮮を建国して中国の明に朝貢した。
李氏朝鮮は、15世紀、世宗のとき最盛期。ハングル文字を作り、儒学を振興し、農業を奨励し、領土を広げた。
17世紀、侵攻してきた清に降伏して清の属国となった。
19世紀末、日本・清・ロシアが影響力を争い、日清戦争後の下関条約で清の属国の地位を離れ、1897年、大韓帝国(1897年〜1910年)と国号を変更した。
9、日本に併合(1910年〜1945年)
1910年、 日韓併合条約により、日本に併合されて日本の植民地となった。
1919年に日本からの独立を図る三・一独立運動が起きている。
10、連合国軍による統治(1945年〜1948年)
1945年、太平洋戦争で日本が敗戦した後、連合国軍により北緯38度線で南北に分割統治(北はソ連・南はアメリカ)され、その後、南部は韓国(大韓民国)、北部は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)となった。
11、韓国と北朝鮮(1948年〜)
1950年、南北統一をめざす北朝鮮が韓国に攻め込み、朝鮮戦争が起こった。
1953年、板門店で停戦協定。北緯38度線に現在の軍事境界線がしかれた。
日本・朝鮮・中国の年表
(日本・朝鮮・中国三国の関係がわかりやすいようにまとめたもので、細部まで正確なものではありません。)
(社会科のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
social studies 【超速まとめ】 平安時代
- 2012.08.12 Sunday
- 社会
- 18:02
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- by アリ
平安時代の章が一目で理解できるように、重要事項を最もわかりやすくまとめました。
1、平安京
桓武(かんむ)天皇…政治を立て直すため、都を奈良から移す
784年 長岡京
794年 平安京
桓武天皇の改革…
国司の監督の強化(勘解由使(かげゆし))
班田収授法の励行・雑徭(ぞうよう)の半減
東北地方の蝦夷(えみし)の支配…坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍に
2、新しい仏教
桓武天皇が最澄と空海を唐に派遣し、新しい仏教が朝廷・貴族に広まる
最澄(伝教大師)…天台宗・比叡山延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)(滋賀県)
空海(弘法大師)…真言宗・高野山金剛峰寺(こうやさん・こんごうぶじ)(和歌山県)
3、東アジアの変動
宋…中国で唐が滅び、宋が統一
朱子学・禅宗・水墨画
高麗(こりょ・こうらい)…朝鮮で新羅が滅び、高麗が建国
4、摂関政治
中臣鎌足の子孫の藤原氏が政治の実権
摂関政治…藤原氏は娘を天皇の后(きさき)にして、天皇が幼いときは摂政、天皇が成人後は関白となり、多くの荘園の寄進を受けて勢力を広げる
藤原良房…866年、皇族以外で最初の摂政に
藤原基経…887年、最初の関白に
藤原道長・藤原頼通(よりみち)…摂関政治の全盛
「この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば」
不輸の権・不入の権…地方豪族は荘園を貴族や寺院に寄進し、不輸の権(税を納めなくてもよい特権)、不入の権(国司の立入りを拒むことができる特権)を得た
5、国風文化
遣唐使の停止の後、日本風の文化が生まれ、摂関政治の頃に最も盛ん
遣唐使の停止…894年、菅原道真(すがわらのみちざね)の意見で、遣唐使を停止
仮名文字の発明…漢字をくずしたひら仮名・漢字の一部からかた仮名が生まれた
『土佐日記』(日記)…紀貫之
『源氏物語』(物語)…紫式部
『枕草子』(随筆)…清少納言
『古今和歌集』(最初の勅撰和歌集)…紀貫之ら
浄土信仰(浄土教)…念仏を唱えて極楽浄土を願う信仰
平等院鳳凰堂(びょうどういん・ほうおうどう)…藤原頼通、京都府宇治市
中尊寺金色堂(ちゅうそんじ・こんじきどう)…奥州藤原氏、岩手県平泉
寝殿造(しんでんづくり)…貴族の住居
大和絵(やまとえ)・絵巻物
6、武士の成長
土地争いから地方の農民が武装し、朝廷の武官と結びついて武士団になる
源氏と平氏が武士団の棟梁に
地方の反乱…
藤原純友(ふじわらのすみとも)…瀬戸内海で反乱
平将門(たいらのまさかど)…関東で独立国を企てる
東北地方の戦乱…前九年の役・後三年の役、源義家が鎮圧
7、院政
後三条天皇…藤原氏の摂関政治を抑制
白河天皇…1086年、譲位して上皇となり、院で政治を行う
摂関政治が衰え、院の警護にあたる武士が進出する
8、平氏の台頭
保元の乱…崇徳(すとく)上皇と後白河天皇の争い、後白河天皇側の平清盛・源義朝(よしとも)が勝利
平治の乱…源氏と平氏が対立、源義朝を倒して平清盛が勝利
平清盛…1167年、武士で最初の太政大臣(だいじょうだいじん)
日宋貿易…平清盛は兵庫港(大輪田泊(おおわだのとまり))を整備、宋と貿易し銅銭を輸入
関連年表
784年 長岡京に遷都
794年 平安京に遷都
866年 藤原良房が摂政になる
887年 藤原基経が関白になる
894年 遣唐使を停止
・907年 唐が滅びる
935年 平将門の乱
・936年 高麗が朝鮮を統一
939年 藤原純友の乱
・960年 宋が中国を統一
1016年 藤原道長が摂政となる
1051年 前九年の役
1083年 後三年の役
1086年 白河上皇が院政を開始
・1096年 十字軍の遠征が始まる
1156年 保元の乱が起こる
1159年 平治の乱が起こる
1167年 平清盛が太政大臣になる
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる
(社会科のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
1、平安京
桓武(かんむ)天皇…政治を立て直すため、都を奈良から移す
784年 長岡京
794年 平安京
桓武天皇の改革…
国司の監督の強化(勘解由使(かげゆし))
班田収授法の励行・雑徭(ぞうよう)の半減
東北地方の蝦夷(えみし)の支配…坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍に
2、新しい仏教
桓武天皇が最澄と空海を唐に派遣し、新しい仏教が朝廷・貴族に広まる
最澄(伝教大師)…天台宗・比叡山延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)(滋賀県)
空海(弘法大師)…真言宗・高野山金剛峰寺(こうやさん・こんごうぶじ)(和歌山県)
3、東アジアの変動
宋…中国で唐が滅び、宋が統一
朱子学・禅宗・水墨画
高麗(こりょ・こうらい)…朝鮮で新羅が滅び、高麗が建国
4、摂関政治
中臣鎌足の子孫の藤原氏が政治の実権
摂関政治…藤原氏は娘を天皇の后(きさき)にして、天皇が幼いときは摂政、天皇が成人後は関白となり、多くの荘園の寄進を受けて勢力を広げる
藤原良房…866年、皇族以外で最初の摂政に
藤原基経…887年、最初の関白に
藤原道長・藤原頼通(よりみち)…摂関政治の全盛
「この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば」
不輸の権・不入の権…地方豪族は荘園を貴族や寺院に寄進し、不輸の権(税を納めなくてもよい特権)、不入の権(国司の立入りを拒むことができる特権)を得た
5、国風文化
遣唐使の停止の後、日本風の文化が生まれ、摂関政治の頃に最も盛ん
遣唐使の停止…894年、菅原道真(すがわらのみちざね)の意見で、遣唐使を停止
仮名文字の発明…漢字をくずしたひら仮名・漢字の一部からかた仮名が生まれた
『土佐日記』(日記)…紀貫之
『源氏物語』(物語)…紫式部
『枕草子』(随筆)…清少納言
『古今和歌集』(最初の勅撰和歌集)…紀貫之ら
浄土信仰(浄土教)…念仏を唱えて極楽浄土を願う信仰
平等院鳳凰堂(びょうどういん・ほうおうどう)…藤原頼通、京都府宇治市
中尊寺金色堂(ちゅうそんじ・こんじきどう)…奥州藤原氏、岩手県平泉
寝殿造(しんでんづくり)…貴族の住居
大和絵(やまとえ)・絵巻物
6、武士の成長
土地争いから地方の農民が武装し、朝廷の武官と結びついて武士団になる
源氏と平氏が武士団の棟梁に
地方の反乱…
藤原純友(ふじわらのすみとも)…瀬戸内海で反乱
平将門(たいらのまさかど)…関東で独立国を企てる
東北地方の戦乱…前九年の役・後三年の役、源義家が鎮圧
7、院政
後三条天皇…藤原氏の摂関政治を抑制
白河天皇…1086年、譲位して上皇となり、院で政治を行う
摂関政治が衰え、院の警護にあたる武士が進出する
8、平氏の台頭
保元の乱…崇徳(すとく)上皇と後白河天皇の争い、後白河天皇側の平清盛・源義朝(よしとも)が勝利
平治の乱…源氏と平氏が対立、源義朝を倒して平清盛が勝利
平清盛…1167年、武士で最初の太政大臣(だいじょうだいじん)
日宋貿易…平清盛は兵庫港(大輪田泊(おおわだのとまり))を整備、宋と貿易し銅銭を輸入
関連年表
784年 長岡京に遷都
794年 平安京に遷都
866年 藤原良房が摂政になる
887年 藤原基経が関白になる
894年 遣唐使を停止
・907年 唐が滅びる
935年 平将門の乱
・936年 高麗が朝鮮を統一
939年 藤原純友の乱
・960年 宋が中国を統一
1016年 藤原道長が摂政となる
1051年 前九年の役
1083年 後三年の役
1086年 白河上皇が院政を開始
・1096年 十字軍の遠征が始まる
1156年 保元の乱が起こる
1159年 平治の乱が起こる
1167年 平清盛が太政大臣になる
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる
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science 【超速まとめ】 音
- 2012.08.10 Friday
- 理科
- 00:38
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- by アリ
音の章が一目で理解できるように、重要事項を最もわかりやすくまとめました。
1、音
音源…音を発生させている物体(例:弦・音さ)
音源が振動することで音が発生する
音源の振動が空気を振動させて波となり、その波が耳の鼓膜を振動させることで音が聞こえる
波…振動が次々に伝わる現象
空気そのものは移動せず、空気の振動によってできた波だけが伝わっていく
音を伝えるもの…気体(空気など)・液体(水など)・固体(金属など)
音が伝わる速さは、固体>液体>気体
音さの実験…
同じ振動数の音さの一方をたたくと、たたいていない方の音さも鳴り始める(空気が振動して音さを振動させるから)
たたいたほうの音さを押さえて音を止めても、たたかなかった音さは鳴り続ける
真空ポンプを使う実験…
密閉した容器に入れたブザーを鳴らし、真空ポンプで容器内の空気を抜いていくと、ブザーの音が小さくなる(音を伝える空気がなくなっていくから)
容器内に発泡ポリスチレン球を入れておくと、発泡ポリスチレン球は動き続けるので音源のブザーは音を出し続けていることを確認できる
音の観察…音をマイクロホンに通し、オシロスコープやコンピュータで表示して観察する
2、音の大小・音の高低
音の大小…大きな音として聞こえるか、小さな音として聞こえるか
音の高低…高い音として聞こえるか、低い音として聞こえるか
音の大小は、音源の振動の振幅(どれくらいの幅で振動するか)によって決まる
振幅…振動のふれる幅の大きさ
振幅が大きいほど音は大きい
音の高低は、音源の振動の振動数(1秒間に何回振動するか)によって決まる
振動数…1秒間に振動する回数(単位はHz(ヘルツ))
振動数が多いほど音は高い
大きな音を出すには…音源を強くたたく、はじく(振幅が大きくなる)
高い音を出すには…短い弦・細い弦・弦を強く張る(振動数が多くなる)
低い音を出すには…長い弦・太い弦・弦を弱く張る(振動数が少なくなる)
3、音が伝わる速さ
音の速さを求める式…音が伝わった距離(m)÷音が伝わるのにかかった時間(s(秒))
単位はm/s(メートル毎秒)
例題:1320m離れた場所の花火が見えてから4秒後に花火の音が聞こえた。音の伝わる速さを求めよ。
速さ(m/s)=距離(m)÷時間(s(秒))より、
1320÷4=330
このときの音の速さは330m/s
参考:空気中を伝わる音の速さは、1気圧の空気だと、331.5+0.6t(tは温度)であることがわかっている(気温が高いほど音の速さは速くなる)。
気温が15℃のときの音の速さを、この式にあてはめて計算すると、331.5+0.6×15=331.5+9=340.5m/sとなる。
中学生の理科で、音の速さを340m/sとする問題が多いのはこれが理由である。
(理科の各内容のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
1、音
音源…音を発生させている物体(例:弦・音さ)
音源が振動することで音が発生する
音源の振動が空気を振動させて波となり、その波が耳の鼓膜を振動させることで音が聞こえる
波…振動が次々に伝わる現象
空気そのものは移動せず、空気の振動によってできた波だけが伝わっていく
音を伝えるもの…気体(空気など)・液体(水など)・固体(金属など)
音が伝わる速さは、固体>液体>気体
音さの実験…
同じ振動数の音さの一方をたたくと、たたいていない方の音さも鳴り始める(空気が振動して音さを振動させるから)
たたいたほうの音さを押さえて音を止めても、たたかなかった音さは鳴り続ける
真空ポンプを使う実験…
密閉した容器に入れたブザーを鳴らし、真空ポンプで容器内の空気を抜いていくと、ブザーの音が小さくなる(音を伝える空気がなくなっていくから)
容器内に発泡ポリスチレン球を入れておくと、発泡ポリスチレン球は動き続けるので音源のブザーは音を出し続けていることを確認できる
音の観察…音をマイクロホンに通し、オシロスコープやコンピュータで表示して観察する
2、音の大小・音の高低
音の大小…大きな音として聞こえるか、小さな音として聞こえるか
音の高低…高い音として聞こえるか、低い音として聞こえるか
音の大小は、音源の振動の振幅(どれくらいの幅で振動するか)によって決まる
振幅…振動のふれる幅の大きさ
振幅が大きいほど音は大きい
音の高低は、音源の振動の振動数(1秒間に何回振動するか)によって決まる
振動数…1秒間に振動する回数(単位はHz(ヘルツ))
振動数が多いほど音は高い
大きな音を出すには…音源を強くたたく、はじく(振幅が大きくなる)
高い音を出すには…短い弦・細い弦・弦を強く張る(振動数が多くなる)
低い音を出すには…長い弦・太い弦・弦を弱く張る(振動数が少なくなる)
3、音が伝わる速さ
音の速さを求める式…音が伝わった距離(m)÷音が伝わるのにかかった時間(s(秒))
単位はm/s(メートル毎秒)
例題:1320m離れた場所の花火が見えてから4秒後に花火の音が聞こえた。音の伝わる速さを求めよ。
速さ(m/s)=距離(m)÷時間(s(秒))より、
1320÷4=330
このときの音の速さは330m/s
参考:空気中を伝わる音の速さは、1気圧の空気だと、331.5+0.6t(tは温度)であることがわかっている(気温が高いほど音の速さは速くなる)。
気温が15℃のときの音の速さを、この式にあてはめて計算すると、331.5+0.6×15=331.5+9=340.5m/sとなる。
中学生の理科で、音の速さを340m/sとする問題が多いのはこれが理由である。
(理科の各内容のさらに詳しい説明はこちらの目次からたどってご覧ください。)
essay 試験勉強の仕方と覚え方を考える(蛍光マーカーと記憶、文ではなくて単語で覚える)
- 2012.08.08 Wednesday
- 講師談話室
- 00:05
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- -
- by アリ
試験勉強の仕方、大切なことの覚え方について考えてみました。
1、通読
まず、教科書や参考書の試験範囲を通読して要点を覚えようとするとき、次の3つの方法が考えられます。
1、教科書を黙読する
2、教科書を音読する
3、教科書の要点をノートにまとめる
「よくできる人」は黙読で充分です。
ほとんどの重要語句は頭に入っているので、試験範囲を見直しして、細かいことや見落としていたことを確認しておけばそれで充分だからです。
また、黙読は一番時間がかからない勉強法でもあります。
「あまり成績が良くない人」は音読をおすすめします。
声を出して教科書を読むべきです。
「成績が良くない人」に共通する欠点は、語彙(ごい)力の不足(言葉を知らないこと)です。
重要な語句が頭に入っていないので、テストで良い点がとれないのです。
言葉を言葉として頭に残すには、音読が最も効果的で手っ取り早い方法です。
教科書をノートにまとめる試験勉強は、あまり良い勉強法ではありません。
時間がかかりすぎて、テストには間に合いません。
また、ノートにまとめたからといって、重要な言葉が頭に残っているわけではありません。
教科書をノートにまとめる勉強法は、最も効果の薄い、試験勉強としては一番やってはいけない勉強法です。
2、マーキング
試験範囲を通読するだけでは不充分です。
人間の脳は、見たものすべてを頭に残すようにはできていません。
教科書や参考書を通読したとしても、読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにしないと、何も覚えられません。
そのための方法がマーキング(重要な語句にしるしをつけること)です。
マーキングの方法としては、重要部分に鉛筆やボールペンで線を引く方法もありますが、多くの人がおこなっているのはマーカーペン、特に蛍光マーカーを使う方法です。
そこで、蛍光マーカーを使うマーキングについて考察します。
3、何色の蛍光マーカーを使うか
私は、黄色の蛍光マーカーを使います。
赤色や緑色を使う人もいますが、赤色や緑色は濃すぎて、引いた部分の語句がマーカーで隠れてしまって、語句を読み取りにくくしているように思います。
マーキングは、重要な語句を覚えるためにするものです。
マーキングした語句が目に鮮やかに浮き上がってこないと意味がありません。
黄色は色そのものが目立ち、その上、引いた部分の語句をはっきりと読み取ることができるという長所があるように思います。
4、何をマーキングするか(言葉か文か)
マーカーの色よりも重要なのが、何をマーキングするか、です。
例えば、テスト範囲として、次の文を通読し、マーキングして覚えるとします。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。」
あなたなら、蛍光マーカーでどのようにマーキングしますか?
時々、次のように蛍光ペンで塗る人がいます。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。」
この塗り方は、マーキングとは言えません。
だらだらと引いてあるだけで、重要な言葉、覚えないといけない言葉をマークしているわけではないので、何の意味もありません。
「読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにする」のがマーキングです。
覚えないといけないのは、そして、覚えることができるのは、短い言葉、単語だけです。
文章を覚えることはすこぶる困難ですし、仮に覚えられたとしても、実際のテストでは何の役にも立ちません。
正しいマーキングは次のようになります。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。」
「読んだもののうち、重要な言葉、覚えないといけない言葉を区別して取り出し、言葉だけを覚えるようにする」ための方法がマーキングであり、言葉さえ覚えておけば、どんな問題が出てきても対応できるのです。
5、なぜ重要な言葉をマーキングできるのか
正しくマーキングする人は、なぜ、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が覚えないといけない言葉、重要な言葉だとわかるのでしょうか?
それは、抽象的に述べると、文章中で特別扱いされているのがそれらの言葉であるからです。
「大気」「酸素」「生物」「有害」…などは、この文以外にもよく使われる一般的な語なので、しいて覚えないといけない語ではありません。
上の説明ではわかりにくいのでさらに具体的に述べると、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が重要な語だとわかるのは、授業中に先生がその語を強調されていたからであり、自分が問題を解いたときにしばしばその語が問われていたから、です(だから、授業は真剣に受けないといけないし、普段から多くの問題を解いておかないといけないのです)。
上手なマーキングは、勉強の出発点であり、ゴールでもあるのです。
***** 5教科以外の全目次はこちら、ワンクリックで探している記事を開くことができます *****
1、通読
まず、教科書や参考書の試験範囲を通読して要点を覚えようとするとき、次の3つの方法が考えられます。
1、教科書を黙読する
2、教科書を音読する
3、教科書の要点をノートにまとめる
「よくできる人」は黙読で充分です。
ほとんどの重要語句は頭に入っているので、試験範囲を見直しして、細かいことや見落としていたことを確認しておけばそれで充分だからです。
また、黙読は一番時間がかからない勉強法でもあります。
「あまり成績が良くない人」は音読をおすすめします。
声を出して教科書を読むべきです。
「成績が良くない人」に共通する欠点は、語彙(ごい)力の不足(言葉を知らないこと)です。
重要な語句が頭に入っていないので、テストで良い点がとれないのです。
言葉を言葉として頭に残すには、音読が最も効果的で手っ取り早い方法です。
教科書をノートにまとめる試験勉強は、あまり良い勉強法ではありません。
時間がかかりすぎて、テストには間に合いません。
また、ノートにまとめたからといって、重要な言葉が頭に残っているわけではありません。
教科書をノートにまとめる勉強法は、最も効果の薄い、試験勉強としては一番やってはいけない勉強法です。
2、マーキング
試験範囲を通読するだけでは不充分です。
人間の脳は、見たものすべてを頭に残すようにはできていません。
教科書や参考書を通読したとしても、読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにしないと、何も覚えられません。
そのための方法がマーキング(重要な語句にしるしをつけること)です。
マーキングの方法としては、重要部分に鉛筆やボールペンで線を引く方法もありますが、多くの人がおこなっているのはマーカーペン、特に蛍光マーカーを使う方法です。
そこで、蛍光マーカーを使うマーキングについて考察します。
3、何色の蛍光マーカーを使うか
私は、黄色の蛍光マーカーを使います。
赤色や緑色を使う人もいますが、赤色や緑色は濃すぎて、引いた部分の語句がマーカーで隠れてしまって、語句を読み取りにくくしているように思います。
マーキングは、重要な語句を覚えるためにするものです。
マーキングした語句が目に鮮やかに浮き上がってこないと意味がありません。
黄色は色そのものが目立ち、その上、引いた部分の語句をはっきりと読み取ることができるという長所があるように思います。
4、何をマーキングするか(言葉か文か)
マーカーの色よりも重要なのが、何をマーキングするか、です。
例えば、テスト範囲として、次の文を通読し、マーキングして覚えるとします。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。」
あなたなら、蛍光マーカーでどのようにマーキングしますか?
時々、次のように蛍光ペンで塗る人がいます。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。」
この塗り方は、マーキングとは言えません。
だらだらと引いてあるだけで、重要な言葉、覚えないといけない言葉をマークしているわけではないので、何の意味もありません。
「読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにする」のがマーキングです。
覚えないといけないのは、そして、覚えることができるのは、短い言葉、単語だけです。
文章を覚えることはすこぶる困難ですし、仮に覚えられたとしても、実際のテストでは何の役にも立ちません。
正しいマーキングは次のようになります。
「大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。」
「読んだもののうち、重要な言葉、覚えないといけない言葉を区別して取り出し、言葉だけを覚えるようにする」ための方法がマーキングであり、言葉さえ覚えておけば、どんな問題が出てきても対応できるのです。
5、なぜ重要な言葉をマーキングできるのか
正しくマーキングする人は、なぜ、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が覚えないといけない言葉、重要な言葉だとわかるのでしょうか?
それは、抽象的に述べると、文章中で特別扱いされているのがそれらの言葉であるからです。
「大気」「酸素」「生物」「有害」…などは、この文以外にもよく使われる一般的な語なので、しいて覚えないといけない語ではありません。
上の説明ではわかりにくいのでさらに具体的に述べると、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が重要な語だとわかるのは、授業中に先生がその語を強調されていたからであり、自分が問題を解いたときにしばしばその語が問われていたから、です(だから、授業は真剣に受けないといけないし、普段から多くの問題を解いておかないといけないのです)。
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