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  • 2022.10.14 Friday
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Japanese 古文を読もう・16 無住(むじゅう)『沙石集(しゃせきしゅう)』


「古文を気楽に読もう」の(16)は、無住(むじゅう)の随筆『沙石集(しゃせきしゅう)』です。

無住(1226年〜1312年)は、鎌倉時代に活躍した僧侶です。18歳で出家し、諸国をまわって仏教諸宗を学んだ博識家で、上野国(こうずけのくに:群馬県)や尾張国(おわりのくに:愛知県)で寺院を開くかたわら、『沙石集』、『妻鏡』、『雑談集(ぞうだんしゅう)』などの作品を著しました。

沙石集(しゃせきしゅう)』は、わかりやすい逸話(=沙(しゃ:小粒の砂)や石)を題材に、金や宝石にあたる仏教の真髄を庶民に教えさとすという意味で名づけられた説話集です。

日本、中国、インドの伝説や日本各地の寓話の他、庶民の生活を伝える話、滑稽な話などで構成されており、『徒然草』や後の時代の狂言、落語に影響を与えたと言われています。

今日とりあげるのは、「藤の木のこぶを信じて馬を見つける話」です。

まず、本文を、(1)音読を心がける、(2)「作者の伝えたいことは何か=何がおもしろい(興味深い)のか」を理解する、の2点に留意して、読んでみましょう。


『藤の木のこぶを信じて馬を見つける話』

ある在家人(ざいけにん)、山寺の僧を信じて、世間出世のこと、深く頼みて、病むこともあれば、薬なども問ひけり。

この僧、医骨もなかりければ、よろづの病に「藤のこぶを煎じてめせ」と教へける。

信じてこれを用ゐけるに、よろづの病癒えずといふことなし。

ある時、馬を失ひて、「いかがつかまつるべき」といへば、例の「藤のこぶを煎じてめせ」といふ。

心得がたかりけれども、様ぞあるらんと信じて、あまりに取り尽くして、近々には、なかりければ、少し遠行きて、山のふもとを尋ぬるほどに、谷の辺より、失ひたる馬を見つけけり。

これも信のいたすところなり。


読むときのヒント

ある在家人(ざいけにん)、山寺の僧を信じて、世間出世のこと、深く頼みて、病むこともあれば、薬なども問ひけり。
在家人(ざいけにん):出家していない人、僧侶ではない一般の人

世間出世:世間とは世の中のこと、出世とは仏教の教えに関すること(現代語の「出世」とは意味が違います)

「ある在家人」が、田舎寺の僧侶を信じきって、何ごとにつけ頼みにして、病気になれば飲む薬まで質問をしていたのです。


この僧、医骨もなかりければ、よろづの病に「藤のこぶを煎じてめせ」と教へける。
医骨(いこつ):医術の心得

よろづの:よろずの、いろいろな、さまざまな


藤のこぶ:藤の木にできるこぶのようなもの
虫に食われた場所の細胞が増殖してこぶのようになったもので、昔から、癌や食欲不振、便秘に効果があるとされており、現在医学でもその効用が実証されています。


煎じて(せんじて):「煎ずる」薬や茶などを煮つめて成分を取り出すこと

めせ(召せ):飲みなさい


信じてこれを用ゐけるに、よろづの病癒えずといふことなし。
癒(い)えずといふことなし:治らないということがなかった、すべて治った


ある時、馬を失ひて、「いかがつかまつるべき」といへば、例の「藤のこぶを煎じてめせ」といふ。
「いかがつかまつるべき」:どうしたらいいでしょうか
・「つかまつる」…「する」、「行う」という意味の、「為(な)す」、「行(おこな)ふ」の謙譲語


心得がたかりけれども、様ぞあるらんと信じて、あまりに取り尽くして、近々には、なかりければ、少し遠行きて、山のふもとを尋ぬるほどに、谷の辺より、失ひたる馬を見つけけり。
心得がたかりけれども:納得しにくいことではあったけれども
「心得(こころう)」は「納得する」「理解する」
「がたかり」は、形容詞「がたし」(〜するのがむつかしい)の連用形


様(さま):理由

あるらん:あるのであろう
「らん」は、推量の助動詞「らむ」

あまりに取り尽くして:何かにつけて「藤のこぶを飲め」と言われるので、近辺の藤のこぶは取り尽してしまい遠くまで藤のこぶを採りにいったことで、偶然、逃げた馬を見つけることができたのです。


これも信のいたすところなり。
:信心、信仰
「これも深く信じた結果である」


文の主題(テーマ)を読み取ろう

現代人から見るといい加減なお坊さんと、そのお坊さんの言うことは何でも素直に信じる純朴な人の物語です。

おなかの病気にしか効かないはずの藤のこぶをよろずの病に「煎じて飲め」と勧める僧ですが、僧の言葉を全面的に信じて素直に飲む人は「
よろづの病癒えずといふことなし」。

そしてきわめつけは、馬を失った人へのアドバイスがまた
「藤のこぶを煎じてめせ」であったのに、さすがに今度は半信半疑であった人がそれでも僧の言葉を信じてその指示に従ったところ、見事に馬を探し当てたことです。

その理由が合理的に説明されていることにも感服してしまいます。

キリスト教でいう「信じるものは救われる」、日本のことわざの「いわしの頭も信心から」などを髣髴(ほうふつ)とさせる逸話です。


せっかく読んだので、ついでに出題された問題も解いておきましょう

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

ある在家人(ざいけにん)、山寺の僧を信じて、世間出世のこと、深く頼みて、病むこともあれば、薬なども問ひけり。

この僧、医骨もなかりければ、よろづの病に「藤のこぶを煎じてめせ」と教へける。

信じてこれを用ゐけるに、よろづの病癒えずといふことなし。

ある時、馬を(1)失ひて、「(2)いかがつかまつるべき」といへば、例の「藤のこぶを煎じてめせ」と(3)いふ

(4)心得がたかりけれども、様ぞあるらんと信じて、あまりに(5)取り尽くして、近々には、なかりければ、少し遠行きて、山のふもとを尋ぬるほどに、谷の辺より、失ひたる馬を見つけけり。

これも(   A   )。



問い一、傍線(1)「失ひて」・(3)「いふ」の主語を文章中の言葉で書け。


解答 (1)在家人、(3)僧


問い二、傍線(2)「いかがつかまつるべき」の意味として適切なものを次から一つ選べ。
ア いつごろたずねたらよいでしょうか
イ どうしたらよいでしょうか
ウ 誰に聞いたらわかるでしょうか
エ なにがいちばん効くのでしょうか


解答 イ どうしたらよいでしょうか


問い三、傍線(4)「心得がたかり」は「納得しにくい」という意味だが、どうして納得しにくかったのか、書け。


解答 馬を失ってどうしたらよいかを僧に尋ねたのに、薬である藤のこぶを煎じて飲めと言われたから。(同意可)


問い四、傍線(4)「取り尽くして」は何を取り尽くしたのか。文章中から抜き出して書け。



解答 藤のこぶ


問い五、空欄Aにあてはまるものとして適切なものを次から一つ選べ。
ア 孝行の深き心よりおこれり
イ 信のいたすところなり
ウ 愚かなる人の世のならひなり
エ 罪深きことなり



解答





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Japanese 故事成語(11) 蛍雪の功(けいせつのこう)


蛍雪の功(けいせつのこう)の意味

「苦労して学問に励むこと」、あるいは、「苦労して学問に励み、功績をあげること」を蛍雪の功といいます。

夜、勉強をするのには灯り(あかり)が必要です。
昔は、皿に入れた油に糸の芯をたらし、それに火をつけて灯りにしました。
灯りをともすための油も買えないほどの貧乏でありながら、蛍の光を灯りの代わりにしたり、窓の外の雪明かりで本を読んだりして苦労して勉強し、やがて高位高官に出世したという故事から生まれた言葉が「蛍雪の功」です。


故事成語のもとになった出来事・出典

蛍の光を灯りに勉強をした人は車胤(しゃいん)、雪の明かりで学問に励んだ人は孫康(そんこう)で、ともに中国の晋の時代の人です。

(しん:265〜420年)
三国時代(魏・呉・蜀)の、魏の最後の皇帝から禅譲を受けて司馬炎が建国した王朝が晋です。
317年、匈奴に華北を奪われるまでを西晋、華南の建業(建康)に都を移してからを東晋といいます。

車胤(しゃいん)も孫康(そんこう)も東晋時代の人です。
ともに、貧困の中で学問に励み、やがて中央政府に出仕して高官に取り立てられ、活躍しました。


『蛍雪の功』の原文と書き下し文、現代語訳

『晋書』車胤伝

(原文)晉車胤字武子、南平人。
(書き下し文)晋の車胤、字(あざな)は武子(ぶし)、南平(なんぺい)の人なり。
(現代語訳)晋の時代に生きた車胤は、呼び名を武子といい、南平の人だ。

(原文)恭勤不倦、博覽多通。
(書き下し文)恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず、博覧(はくらん)多通(たつう)なり。
(現代語訳)謙虚で勤勉で、学問に励んで飽きることがなく、広く文献を学び精通していた。

(原文)家貧不常得油。
(書き下し文)家、貧(ひん)にして常には油を得ず。
(現代語訳)家が貧しかったために、灯り用の油を買えないことがよくあった。

(原文)夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
(書き下し文)夏月(かげつ)になれば則(すなわ)ち練囊(れんのう)に数十の蛍火(けいか)を盛(も)り、以(もっ)て書を照らし、夜を以(もっ)て日に継ぐ。
(現代語訳)夏になると練り絹の袋に数十匹の蛍を入れて、その明かりで書物を照らし、夜、暗くなっても学ぶことをやめなかった。


『蒙求(もうぎゅう)』孫康映雪・車胤聚螢

(原文)孫氏世録曰、康家貧無油。
(書き下し文)孫氏世録(そんしせろく)に曰(いわ)く、康(こう)、家貧(ひん)にして油無し。
(現代語訳)『孫氏世録』に書いてあることによると、孫康は家が貧しく、灯りに用いる油がなかった。

(原文)常映雪讀書。
(書き下し文)常に雪に映(てら)して書を読む。
(現代語訳)いつも雪の反射の明かりで本を読んだ。

(原文)少小清介、交遊不雜。
(書き下し文)少小(しょうしょう)より清介(せいかい)にして、交遊雑ならず。
(現代語訳)若いときから清潔な人柄で、交際する友人も慎重に選んでいた。

(原文)後至御史大夫。
(書き下し文)後(のち)に御史大夫(ぎょしたいふ)に至る。
(現代語訳)仕官したあと、御史大夫(官僚を監督する役所の長官)にまでなった。


『晋書』は、646年、唐の時代に編集された晋の歴史書であり、『蒙求』は、唐の時代に出版された子ども向けの教科書です。


歌曲『蛍の光』

明治14年に文部省の「小学唱歌集」に採用され、かつては必ず卒業式で歌われていたのが『蛍の光』(原曲はスコットランド民謡、作詞者不詳)です。
一番の歌詞の冒頭は「蛍雪の功」を踏まえたものです。

螢の光、窓の雪、
書(ふみ)読む月日、重ねつつ、
何時(いつ)しか年も、すぎの戸を、
開(あ)けてぞ今朝は、別れ行く。


以前は、「故事成語「蛍雪の功」ってのは、『蛍の光』の最初に出てくるでしょう?」と言えば、「ああ!」と皆がわかってくれたのですが、最近は卒業式で『蛍の光』を歌われることもまれになっているようで、『蛍の光』の歌詞を知らない人も増えてきました。


「蛍雪の功」を使う例

・蛍雪の功を積まなければ学問をきわめることはできない。

・蛍雪の功なって彼はこのたび博士号を取得しました。


似た意味の語

「苦学力行(くがくりっこう)」

「蛍窓雪案(けいそうせつあん)」




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Japanese 故事成語(10) 漁夫の利(ぎょふのり)


漁夫の利(ぎょふのり)の意味

「二つのものが争っているとき、争いに乗じて第三者が苦労なく利益をえること」を漁夫の利といいます。

貝と鴫(しぎ:鳥の一種)が争って身動きがとれないでいたら、表れた漁師が何の苦労もなしに貝と鴫の両方を捕えることができたという「たとえ話」からできた言葉です。

貝と鴫の争いに乗じて両方を捕えた漁師の話を創作して、無益な争いをやめるように国王を説得した故事からできた言葉です。


故事成語のもとになった出来事・出典

中国の戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年:晋が韓・魏(ぎ)・趙(ちょう)の三国に分かれてから秦(しん)が中国を統一するまで)、強国の趙に侵略されそうになった燕(えん)の依頼を受けた蘇代(そだい)(縦横家で有名な蘇秦の弟)が、趙の国に行き、趙の王を相手に、燕を攻めないよう説得したときのたとえ話が出典です(『戦国策・燕策』)。
戦国時代の中国
戦国時代に有力だった七国(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)を戦国七雄(せんごくしちゆう)といいます。

時代が進むにつれ、徐々にが他を圧倒する力を持つようになりました。

春秋戦国時代、さまざまな思想を主張して立身出世をめざした学者たちが現れ、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれました。

諸子百家のうちで、秦以外の六国が協力して秦にあたるべきだという説(合従策:がっしょうさく)を唱えた蘇秦(そしん)に代表される思想家たち((じゅう):縦に並んだ国々が協力するので)と、秦と結んで国を維持するべきだという説(連衡策:れんこうさく)を説いた張儀(ちょうぎ)に代表される思想家たち((おう):横にある秦と結ぶので)を、合わせて縦横家(じゅうおうか)といいました。

蘇代は、蘇秦の弟であり、のために、燕を攻めようとしていたの国王に合従策(趙と燕が協力して強国の秦に対抗するべきだという策)を説いたのです。


『漁夫の利』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)趙且伐燕。
(書き下し文)趙(ちょう)、且(まさ)に燕を伐(う)たんとす。
(現代語訳)趙が、今にも燕に攻め込もうとしていた。

(原文)蘇代為燕謂恵王曰、
(書き下し文)蘇代(そだい)、燕の為(ため)に恵王に謂(い)いて曰(いわ)く、
(現代語訳)蘇代は燕の意を受けて趙の惠王に説いて言った、

(原文)「今者臣來過易水。
(書き下し文)「今者(いま)、臣(しん)来(きた)るとき易水(えきすい)を過(す)ぐ。
(現代語訳)「今日、私は趙に来るとき、易水(趙と燕の国境にある川)を通りました。

(原文)蚌方出曝。
(書き下し文)蚌(ぼう)方(まさ)に出(いで)て曝(さら)す。
(現代語訳)ちょうど(貝の一種、どぶ貝)が河原に出てきて貝殻を開きひなたぼっこをしていました。

(原文)而鷸啄其肉。
(書き下し文)而(しこう)して鷸(いつ)其(そ)の肉を啄(ついば)む。
(現代語訳)すると(鳥の一種、鴫(しぎ))がその貝の肉をたべようとしてついばみました。

(原文)蚌合箝其喙。
(書き下し文)蚌(ぼう)合わせて其(そ)の喙(くちばし)を箝(つぐ)む。
(現代語訳)どぶ貝は貝殻をとじて鴫のくちばしをはさみました。

(原文)鷸曰、『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』
(書き下し文)鷸(いつ)曰(いわ)く、『今日(こんにち)雨ふらず、明日(みょうにち)雨ふらずんば、即(すなわ)ち死蚌(しぼう)有らん』と。
(現代語訳)鴫は貝に言いました『今日も雨が降らないで、明日も雨が降らなければ、貝のおまえは干からびて死んでしまうぞ』と。

(原文)蚌亦謂鷸曰、『今日不出、明日不出、即有死鷸。』
(書き下し文)蚌(ぼう)も亦(また)鷸(いつ)に謂(い)いて曰(いわ)く、『今日(こんにち)出(い)ださず、明日(みょうにち)も出(い)ださずんば、即(すなわ)ち死鷸(しいつ)有らん』と。
(現代語訳)貝も鴫に言いました『今日もくちばしをはずさないで、明日もはずさなかったら、おまえは動けないでここで死んでしまうぞ』と。

(原文)両者不肯相舎。
(書き下し文)両者(りょうしゃ)、相(あい)舎(す)つるを肯(がえ)んぜず。
(現代語訳)お互いが譲らず、離そうとしませんでした。

(原文)漁者得而并擒之。
(書き下し文)漁者(ぎょしゃ)、得(え)て之(これ)を井(あわ)せ擒(とら)えたり。
(現代語訳)漁師が、お互いに争って動けないでいる鴫と貝を見つけて、両方を苦もなく捕らえてしまいました。

(原文)今趙且伐燕。
(書き下し文)今、趙(ちょう)且(まさ)に燕(えん)を伐(う)たんとす。
(現代語訳)今、趙は燕に攻め込もうとしています。

(原文)燕趙久相支、以敝大衆、臣恐強秦之爲漁父也。
(書き下し文)燕と趙久(ひさ)しく相(あい)支(ささ)えて、以(もって)大衆(たいしゅう)を敝(つから)さば、臣(しん)、強秦(きょうしん)の漁父(ぎょほ)と為(な)らんことを恐(おそるる)なり。
(現代語訳)燕と趙が長期にわたって戦い、両国が互いに疲弊すれば、強国の秦が漁師と同じように苦もなく利益を得ることになります、それを私は恐れるのです。

(原文)願王之熟計之也」。
(書き下し文)願(ねが)わくは王(おう)之(これ)を熟計(じゅくけい)せんことを」と。
(現代語訳)お願いです、惠王さま、そこをよくお考えになってください」と。

(原文)惠王曰、「善」。
(書き下し文)恵王(けいおう)曰(いわ)く、「善(よ)し」と。
(現代語訳)惠王は「なるほど、そのとおりだ」と言った。

(原文)乃止。
(書き下し文)乃(すなわ)ち止(や)む。
(現代語訳)兵を出すことをすぐにとりやめた。


蘇代のたくみな比喩に心を動かされて、趙の恵王は燕への派兵を中止したのです。


下は、日清戦争直前のアジアを描いたとされるジョルジュ・ビゴー(日本に滞在していたフランスの画家)の有名な風刺画です。
漁夫の利朝鮮(魚)をねらっている日本(左)と清(右)、そして両国が戦い疲れるのを待っているロシア(上)を描いたものです。
しばしば「漁夫の利」と題して引用されます。







「漁夫の利」を使う例

・アメリカが戦争をしたイラクやアフガニスタンで影響力を増している中国は、漁夫の利を得る世界戦略をめざしている。

・南シナ海の領有をめぐって中国とASEAN諸国の緊張が高まっているが、漁夫の利を得るのはアメリカではないだろうか。


似た意味の語

「鷸蚌(いつぼう)の争い」、「犬兎(けんと)の争い」

「両虎食を争う時は狐その虚に乗る」

「トビに油揚をさらわれる」

英語では、Two dogs fight for a bone,and the third runs away with it.(二匹の犬が骨を争い、三匹目の犬がくわえて逃げる。)





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Japanese 古文を読もう・15 上田秋成『胆大小心録(たんだいしょうしんろく)』


「古文を気楽に読もう」の(15)は、上田秋成(うえだあきなり)の随筆『胆大小心録(たんだいしょうしんろく)』です。

上田秋成(1734年〜1809年)は、江戸時代中期(8代将軍徳川吉宗〜11代将軍徳川家斉のとき)の歌人・国学者・読本作家です。
4歳で商家の養子となり、店を火事で失ったあと、40歳を過ぎて医者となり、そのかたわら俳諧をたしなみ、国学を学び、読本(よみほん:小説)の作者として活躍しました。

代表作は怪異小説集『雨月物語』です。
『雨月物語』は、恨みを残して死んだ霊魂や、かなえられない欲望に身を焦がす幽霊が登場する怪異小説ですが、文学的な価値も高く、芥川龍之介や三島由紀夫も座右の書として愛しました。

胆大小心録』は上田秋成晩年の随筆です。

今日とりあげるのは、「医師(くすし)鶴田なにがしの話」です。

まず、本文を、(1)音読を心がける、(2)「作者の伝えたいことは何か=何がおもしろい(興味深い)のか」を理解する、の2点に留意して、読んでみましょう。


『医師(くすし)鶴田なにがしの話』

伊勢人(いせびと)村田道哲、医生にて大坂に寓居(ぐうきょ)す。

ひととせ天行病にあたりて苦悩もつともはなはだし。

我が社友の医家あつまりて、治することなし。

道哲が本郷より兄といふ人来たりて、我が徒にむかひ、恩を謝して後、「今は退(の)かせたまへ。」と言ひしかば、皆かへりしなり。

兄、道哲に言ふ、「なんぢ京阪(けいはん)に久しく在(あ)りて、医事は学びたらめど、真術をえ学ばず。諸医助かるべからずと申されしなり。命を兄に与ふべし。」とて、

牀(しょう)の上ながら赤はだかに剥(は)ぎて、扇をもて静かにあふぎ、また時どき薄粥(うすがゆ)と熊の胆(い)とを口にそそぎ入れて、一、二日あるほどに、熱少しさめ物くふ。

つひに全快したりしかば、国につれてかへりしなり。

これは兄が相可といふ里に、鶴田なにがしといふ医師(くすし)の、薄衣薄食といふことを常にこころえよとて教えしかば、かの里近くに住む人は病せずとぞ、これはまことに医聖なり。

その教へに、「よきほどと思ふは過ぎたるなり。」とぞ。

しかるべし。


読むときのヒント

伊勢人(いせびと)村田道哲、医生にて大坂に寓居(ぐうきょ)す。
伊勢人(いせびと):伊勢(三重県)の人
医生:医学を学ぶ学生
寓居す:伊勢から来て大阪に仮住まいをしていた

ひととせ天行病にあたりて苦悩もつともはなはだし。
ひととせ:ある年
天行病:流行り病(はやりやまい)

もつとも:もっとも

我が社友の医家あつまりて、治することなし。
我が社友の:同じ門下の

道哲が本郷より兄といふ人来たりて、我が徒にむかひ、恩を謝して後、「今は退(の)かせたまへ。」と言ひしかば、皆かへりしなり。
道哲が本郷:道哲の故郷
退(の)かせたまへ:お帰りください

言ひしかば:言ったところ
・「しか」…過去の助動詞「き」の已然形(いぜんけい)が「しか」
・「ば」…「ば」は接続助詞、〜したところ

皆かへりしなり:皆、帰ってしまった

兄、道哲に言ふ、「なんぢ京阪(けいはん)に久しく在(あ)りて、医事は学びたらめど、真術をえ学ばず。諸医助かるべからずと申されしなり。命を兄に与ふべし。」とて、
兄、道哲に言ふ:兄が道哲に言うことには
なんじ:おまえは
京阪:京都と大阪

学びたらめど:学んできたけれども
・「たら」…存続の助動詞「たり」の未然形
・「め」…推量の助動詞「む」の已然形
・「ど」…逆接の接続助詞


学ば:学ぶことができなかった
え〜ず…「え」は副詞、「ず」は否定の助動詞で、〜できなかったの意味

助かるべからず:助からないであろう
与ふべし:任せたほうがよい

牀(しょう)の上ながら赤はだかに剥(は)ぎて、扇をもて静かにあふぎ、また時どき薄粥(うすがゆ)と熊の胆(い)とを口にそそぎ入れて、一、二日あるほどに、熱少しさめ物くふ。
牀(しょう)の上ながら:寝台の上に寝かせたまま
赤はだか:すっ裸
熊の胆:くまのい、熊のたんのうを干したもの、胃腸の薬として用いた
熱少しさめ物くふ:熱が少し冷めて物を食べた

つひに全快したりしかば、国につれてかへりしなり。
したりしかば:したので
・「しか」…過去の助動詞「き」の已然形(いぜんけい)が「しか」
・「ば」…「ば」は接続助詞、〜したので


これは兄が相可といふ里に、鶴田なにがしといふ医師(くすし)の、薄衣薄食といふことを常にこころえよとて教えしかば、かの里近くに住む人は病せずとぞ、これはまことに医聖なり。
相可といふ里:相可という村
医師(くすし)の:医者が
「薄衣薄食といふことを常にこころえよ」:「薄着と少食の二つをいつも心得ておきなさい」、医者の鶴田の言葉

病せずとぞ:病気をしないということだ
・とぞ…:
格助詞「と」+係助詞「ぞ」、「〜と」を強調する表現

その教へに、「よきほどと思ふは過ぎたるなり。」とぞ。
その教へに:鶴田という医者の教へに
よきほどと思ふは過ぎたるなり」:これくらいで良いと思うくらいだと実は着過ぎ食べ過ぎだ

しかるべし。

しかるべし:その通りである
・動詞「しかり」の連体形+
推量の助動詞「べし」


文の主題(テーマ)を読み取ろう

江戸時代は、誰でも医者を名乗ることができました。
現代のように医師国家試験に合格することが必要な仕事ではなかったのです。

しかし、薬の知識や医療技術がないと信用されませんから、通常は確かな医者の弟子になって知識を習得し、技術をみがいた後、開業しました。
都会の大坂(今は大阪)や京都には医者を養成する塾もありました。

伊勢の国から大阪に出て医学を学んでいた村田道哲が病に倒れ、同門の医師たちは治すことができませんでした。

故郷から出てきた道哲の兄が、村の鶴田という医師の教えに従って弟を治療し、故郷に連れ帰ります。

この医者の教えは、薄着と少食でした。
薄着と少食で、村の人たちは医師の教えを守り、病気をすることもなかったというのです。

上田秋成はこの医師を真の「医聖」だと評しています。

よきほどと思ふは過ぎたるなり」の言葉に、秋成は「しかるべし」と、全面的に同意しています。


せっかく読んだので、ついでに出題された問題も解いておきましょう

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

伊勢人(いせびと)村田道哲、医生にて大坂に寓居(ぐうきょ)す。

ひととせ天行病にあたりて苦悩もつともはなはだし。

我が社友の医家あつまりて、(1)治することなし

道哲が本郷より兄といふ人来たりて、我が徒に(a)むかひ、恩を謝して後、「今は退(の)かせたまへ。」と(ア)言ひしかば(b)皆かへりしなり

兄、道哲に言ふ、「なんぢ京阪(けいはん)に久しく在(あ)りて、(2)医事は学びたらめど、真術をえ学ばず。諸医(3)助かるべからずと申されしなり。(4)命を兄に与ふべし。」とて、

牀(しょう)の上ながら赤はだかに剥(は)ぎて、扇をもて静かにあふぎ、また時どき薄粥(うすがゆ)と熊の胆(い)とを口にそそぎ入れて、一、二日あるほどに、熱少しさめ物くふ。

つひに全快したりしかば、国につれてかへりしなり。

これは兄が相可といふ里に、鶴田なにがしといふ医師(くすし)の、薄衣薄食といふことを常にこころえよとて(イ)教えしかば、かの里近くに住む人は病せずとぞ、これはまことに医聖なり。

その教へに、「(5)よきほどと思ふは過ぎたるなり。」とぞ。

しかるべし。




問い一、傍線(a)「むかひ」・(b)「かへりしなり」を現代かなづかいで書け。

語の最初にない「は・ひ・ふ・へ・ほ」は現代かなづかいでは「わ・い・う・え・お」です。


解答 a「むかい」、b「かえりしなり」


問い二、傍線(ア)「言ひしかば」・(イ)「教へしかば」の主語をそれぞれ文章中から書き抜け。


解答 (ア)兄、(イ)医師(鶴田なにがしといふ医師)


問い三、傍線(1)「治することなし」を現代語に訳せ。


解答 治すことができなかった


問い四、(2)「医事は学びたらめど、真術をえ学ばず」はどのような気持ちから言った言葉か。最も適当なものを次のうちから選び、記号で答えよ。

ア、医学の修業をしたことが無駄になったことに不満を感じていった言葉。
イ、医学の修業をやめて故郷に帰って家業を継ぐことを勧めていった言葉。
ウ、医学の修業が完全に終わるまで一層励むように期待していった言葉。
エ、医学の修業が単に技術の習得にとどまっていることを批判していった言葉



解答


問い五、傍線(3)「助かるべからず」の現代語訳として最も適当なものを次のうちから選び、記号で答えよ。
ア 助けてはならない
イ 助けようとはしない
ウ 助からないだろう
エ 助かるだろう



解答


問い六、傍線(4)「命を兄に与ふべし」の意味として最も適当なものを次から選び、記号で答えよ。
ア おまえの命の分まで兄の私が長生きしよう。
イ おまえの医学の知識で私に治療法を命じてくれ。
ウ 医学ではだめだから、兄と一緒に精神力で病気を治そう。
エ 医者が治せないおまえの命を兄の私に預けなさい



解答


問い七、傍線(5)「よきほどと思ふは過ぎたるなり」の意味として最も適当なものを次のうちから選び、記号で答えよ。
ア ちょうどよいと思う程度だと実は多過ぎるのだ。
イ このくらいでよいと思うことは思い上がりである。
ウ よい時代と思えるものは常に過去のことである。
エ どんなことでも過ぎたらよいものに思えてくる。


解答


問い八、「鶴田なにがし」に対するこの文章の筆者の考え方として最も適当なものを次のうちから選び、記号で答えよ。
ア 鶴田なにがしの医者としての実績は認めているが、考え方には納得できないものを感じている。
イ 鶴田なにがしは人間を超えた存在であり、その考えは一般の人には受け入れられないものだとしている。
ウ 鶴田なにがしの唱える健康保持の考えを、なるほどそのとおりであると感心し納得している。
エ 鶴田なにがしの言うことを信用しておらず、田舎医者に過ぎないと軽蔑している。


解答




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Japanese 故事成語(9) 玉石混交(ぎょくせきこんこう)


玉石混交(ぎょくせきこんこう)の意味

「玉(ぎょく:宝石)と石(せき:石ころ)、つまり、すぐれたものと価値のないものが入り混じっていること。」

玉石混淆とも書きます。

時折見かける「玉石混合」は書きまちがい、誤りです。

○…玉石混・玉石混(ぎょくせきこんう)
×…玉石混(ぎょくせきこんう)


故事成語のもとになった出来事・出典

三国時代(魏・呉・蜀)の魏の宰相司馬懿(しばい)の孫の司馬炎(しばえん)が建国した国が(しん)です。
晋(西晋)が劉淵(りゅうえん)に滅ぼされた後、晋の皇族の司馬睿(しばえい:司馬懿のひ孫)によって建てられた王朝が東晋(とうしん:317〜420年)です。

東晋の時代、道教を修め、神仙術(仙人になる術)の修行をしながら著述に励んだ人に葛洪(かっこう:283〜343年頃)という人がいました。
その葛洪の著作が『抱朴子(ほうぼくし)』や『神仙伝』です。

道教の教えを説いた『抱朴子』のうち、神仙術についてまとめた部分が『内篇』、儒教の教えを加えて政治思想を述べた部分が『外篇』で、玉石混交の語は、『外篇』で出てきます。


葛洪が述べたのは・・・

「昔の人は、儒教の経典である『詩経(しきょう)』や『書経(しょきょう)』で大きな道義を学び、儒家以外の諸子百家(春秋戦国時代に表れた、墨子、韓非子、恵施、老子、荘子などのさまざまの思想家)の書でさらに道義を深めた。」

「昔の人は、修養の助けになるものであれば儒教の経典以外のものでも良いものは尊重した。崑山(こんざん:伝説の山)の玉ではないからという理由で、それ以外の玉を棄てたりはしなかった。」

「ところが、漢や魏の時代以降、すぐれた書は多くあるのにそれを評価できる聖人が現れなくなった。」

「今の人は見識眼がないので、経典の表面上の字義の解釈だけにとらわれ、それ以外のものはたとえよい思想でも、いろいろな理由をつけて排斥しようとするばかりだ。」

この後に、「玉石混交」を含む文が出てきます。


『玉石混交』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)或貴愛詩賦淺近之細文、

(書き下し文)或(あるいは)詩賦(しふ)浅近(せんきん)の細文(さいぶん)を貴愛(きあい)し、

(現代語訳)また、詩や賦(ともに中国の韻文のこと)や浅薄で俗な軽い文学を尊重し愛したりして、


(原文)忽薄深美富博之子書。

(書き下し文)深美(しんび)富博(ふはく)の子書(ししょ)を忽薄(こつはく)す。

(現代語訳)深みがあって筋が通り、表現が豊かで知識にあふれている諸子百家の書物を軽視してかえりみない。


(原文)以磋切之至言爲騃拙、

(書き下し文)磋切(させつ)の至言(しげん)を以(もっ)て騃拙(がいせつ)と為(な)し、

(現代語訳)自分の向上に役立つ、道理にあった言論を、愚かでつたないとみなして、


(原文)以虚華之小辯爲妍巧、

書き下し文)虚華(きょか)の小弁(しょうべん)を以(もっ)て妍巧(けんこう)と為(な)し、

(現代語訳)嘘やつくりごとばかりのつまらない弁舌を、精妙なものだとみなし、


(原文)眞僞顚倒、玉石混淆。

書き下し文)真偽(しんぎ)顛倒(てんとう)し、玉石(ぎょくせき)混淆(こんこう)す。

(現代語訳)真実と偽りが逆転していて、玉と石とがごちゃごちゃに混ざった状態だ。
石








「玉石混交」を使う例

・予選を経ていないコンクールの応募作品は玉石混交で、審査に長い時間がかかった。


似た意味の語

「ピンからキリまで」

下品な表現ですが、「味噌も糞も一緒」




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Japanese 国語の表現技法(倒置・比喩・対句・体言止め・反復・省略・押韻)


強調したり、感動を高めたり、余韻を残したり、調子をととのえたりするために、特別にもちいられる文章表現の技(わざ)・工夫のことを表現技法といいます(修辞法ともいいます)。

おもな表現技法には次のものがあります。


1、倒置法(とうちほう)
定義 通常の言い方とは言葉の順序にする
例文 「もうやめろ、そんな幼稚なことは。」(「そんな幼稚なことはもうやめろ。」が通常の語順)
効果 強調する

2、比喩(ひゆ)(他のものにたとえる表現。直喩・隠喩・擬人法に分かれる。)
(1)直喩(ちょくゆ)(明諭:めいゆ)
定義〜のように」などを使い、たとえであることを明示した比喩
例文 「人生は羅針盤のない旅のようなものだ。」
効果 印象を強める

(2)隠喩(いんゆ)(暗喩:あんゆ)
定義 「〜のような」などの、たとえを明示する語を使わない比喩
例文 「人生は羅針盤のない旅だ。」
効果 印象を強める

(3)擬人法(ぎじんほう)(活諭:かつゆ)
定義 人間ではないものの様子を人間の動作のように表現する
例文 「ひまわりは太陽に恋をしている。」
効果 印象を強める

3、対句法(ついくほう)
定義 対照的な二つの言葉を同じ形で並べる
例文 「春、君に出会い、秋、君と別れる。」
効果 調子をととのえ、印象を強める

4、体言止め(たいげんどめ)
定義 文の終わりを体言(=名詞)で止める
例文 「見上げると満天の星。」
効果 余韻(よいん)を残す。

5、反復法(はんぷくほう)
定義 同じ語をくり返す
例文 「もう一度会いたい。もう一度会いたい。」
効果 調子をととのえ、感動を強める

6、省略法(しょうりゃくほう)
定義 言葉を省く
例文 「坂を越えたら、また坂が・・・。」
効果 余韻を残す

7、呼びかけ(よびかけ)
定義 人などに具体的に呼びかける
例文 「おおい、雲よ。」
効果 強く訴える

8、押韻(おういん)
定義 文の初め(頭韻)や文の終わり(脚韻)に同じおん)を並べる
例文 「今日(キョウ)は興奮(フン)、妙(ミョウ)な気分(ブン)。」
効果 調子をととのえる



注1:各表現技法の内容を覚えやすいように、できるだけ短い説明にしました。

注2:国語科では、表現技法を詩や短歌・俳句の単元で習うことが多いのですが、使われる場面は詩・短歌・俳句に限りません。

注3:「余韻を残す」とは、文を読んだあとも、読んだときの感動があとに尾を引いて残ることを言います。




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Japanese 国語の成績を上げるただ一つのコツ


なかなか国語の成績が上がらない人の共通点は何でしょうか?

読書量が足りない、でしょうか?
漢字が読めない書けない、でしょうか?
問題練習が足りない、でしょうか?
知識や一般常識が不足している、でしょうか?

私は、どれも絶対的な決め手ではないと思っています。

私が経験上気づいた、国語の成績が上がらない人の唯一の共通点は、「国語の成績が伸びない子は、自分でわからないと判断すると解答を空白のままにする」です。


どんな問題で解答欄が空白であることが多いか

今、手元にある問題集の適当なページをぱっと開いたら、本文のあとに出ている問題は次のようなものでした。
問題の配列例としてはもっとも一般的なものです。

1、傍線部A〜Eのカタカナを漢字に改めて書きなさい。(漢字の問題)
2、傍線部「新しい」が直接修飾する言葉を次から一つ選び、記号で答えなさい。(文法の問題)
3、文章中の二つのカッコには同じ言葉が入る。次から一つ選び、記号で答えなさい。(文脈から適語を選ぶ問題)
4、文章中の「自然の時空と人間の時空が共振する」とはどういうことか。次から最も適切なものを一つ選び、記号で答えなさい。(文脈の理解を問う問題)
5、傍線部「様々な人々の中で模索がはじまっている」のはなぜか。後半の段落の内容を踏まえて、六十字以内で書きなさい。(記述の問題)


1、の漢字の問題ですが、意外に個人差はありません。書ける漢字はほとんどの人が書いているし、難しい漢字だとほとんどの人が間違うか空けています。
2、の文法問題を空白にする人はほとんどいません(合っているかどうかは別にして)。
3、4、の記号選択問題も、解答欄を空白にする人はまずいません。

問題練習をさせたとき、答えを書くことを断念して解答欄を空ける人が多いのは最後の5番の問題です。

この5番の問題を、頑張って解答欄を埋めようとするか、簡単にあきらめて空白のままで平気かで、国語の成績が伸びるかどうかが決まります。
空白
私は授業中、解答欄に空白がある間は終了と認めない、何か書かないと次に進ませないことがよくあります。

そのかわりに、頑張って何か書いてくれたら、合っているか微妙な問題でも、「よし」と誉めて次に進ませます。



なぜ解答欄を空白のままにしておいてはいけないのか

授業中は次のように言うことが多い。

「解答欄に何も書かないと最初から0点だ。何か書いてあれば、部分点は絶対にある。その差は大きい。空けたままにしないで、とにかくなんでもいいからまず書く癖を今からつけておかないと、実際の入試では書けないよ。」

しかし、本当の理由は入試の些細な損得ではありません。

解答欄を空白のままにしておいてはいけない理由はもっとシンプルなものです。

問題練習は、自転車に乗れない子が自転車に乗る練習をするのと同じです。

初めて自転車に乗るときは、誰でもいやなものです。怖いし、何度か転ぶから痛い。
うちの子もそうでしたが、ほとんどすべての子が最初はいやだと泣き叫びます。

乗るのをあきらめた子は、当たり前のことですが、絶対に自転車に乗れるようにはなりません。

覚悟を決めて乗って、何度か転んで痛い目にあった子だけが上手に乗れるようになる。

転ぶ痛さを経験する人だけが、どうして転ぶのかを本能的に察知しますから、転ばないコツを身につけることができるのです。

解答欄を埋めようと素直に努力できる「自転車に乗ろうとする」人だけが、知らないうちに国語ができるようになっていきます。


どうしたら解答欄を埋められるようになるか

まず、嘘でもいいから、大間違いでもよいから、とにかく書いてみるという心構えが必要です。

最初から満点の、欠点のない解答を書こうとするから書けないのです。
できない人ほどプライドが高い。

できる人は謙虚です。
最初から簡単にできるほど甘いものではないということを知っています。
自分にできる精一杯の答えを書いて、そのあとで自分の欠点を治そうとします。


答え合わせするときに大切なこと

答え合わせにもコツがあります。

記述問題では、答え合わせをするときは最大限自分に甘く採点します。
これが大事です。

模範解答と照らし合わせてみて、ちょっとでも「かすっていたら」、模範解答と同じ趣旨のことがわずかでも書いてあったら、すべて「丸」にします。

ないがしろにしてはいけないのは解答の最後だけです。

上に挙げた問題の5番だと、解答として要求している「なぜか」の部分、ここだけは要求に絶対に従わないといけません。

「なぜか」と聞かれているのだから、解答の最後は「〜だから。」や「〜なので。」以外は認められません。
国語ですから、最後の最後に句点「。」がないのも無効です。

最後の「〜だから。」さえ書いてあったら、自分に大甘に採点するのが書けるようになるコツです。


絶対に解答欄を空白のままにしないという心構え

本当は、「すぐにあきらめて解答欄をあけたままにしない」は、国語以外の科目でも大切な心構えかもしれません。

自分には荷が重いと思われる困難に出会ったときに、簡単にあきらめるのか、自分なりに精一杯の努力をするのか。

そこに、勉強に限らない人生の分岐点があるような気がします。





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Japanese 故事成語(8) 蟷螂の斧(とうろうのおの)


蟷螂の斧(とうろうのおの)の意味

蟷螂(とうろう)とは、カマキリのことです。
カマキリの前足は斧(おの)の形をしており、威嚇するとき、他の昆虫を捕えるとき、カマキリはこの前足を振り上げますが、相手が人間でも前足を振りかざして立ち向かってきます。
かまきり







故事成語『蟷螂の斧(とうろうのおの)』はこのカマキリの習性からできた言葉で、「力のないものが、自分の非力もかえりみず、強い相手に立ち向かうこと」をいいます。


故事成語のもとになった出来事・出典

カマキリの習性は古代中国人にとっても周知のことであったようで、「蟷螂の斧」にはいくつかの出典があります。

唐以前の文学作品を収録した『文選(もんぜん)』では、大軍の袁紹(えんしょう)に敵対する曹操(そうそう)を陳琳(ちんりん)が罵倒する言葉として「蟷螂の斧」の語を使っており、『荘子(そうじ)』の「天地篇」では、凶暴な王の子の教育係になろうとする人にやめるように忠告する人の言葉として、この言葉が使われています。

わが国では、『淮南子(えなんじ)』の「人間訓」や『韓詩外伝(かんしがいでん)』の「巻八」に出てくる文章がよく引用されますので、そちらを原文として取り上げました。


『蟷螂の斧』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)斉荘公出猟。
(書き下し文)斉(せい)の荘公(そうこう) 出(い)でて猟す。
(現代語訳)斉(春秋時代の強国の一つ)の荘公(斉の国王の名)は野に出て狩猟をしました。

(原文)有一虫。挙足将搏其輪。
(書き下し文)一虫(いっちゅう)有り。足を挙げて将(まさ)に其(そ)の輪(りん)を搏(う)たんとす。
(現代語訳)(荘公の乗った車の前に)一匹の虫がいました。足を挙げて今にも車輪に打ちかかろうとします。

(原文)問其御曰、此何虫也。
(書き下し文)其の御(ぎょ)に問ひて曰(い)はく、此(こ)れ何の虫ぞや、と。
(現代語訳)(荘公が)御者に尋ねました、「これは何という虫だ。」と。

(原文)對曰、此所謂螳螂者也。
書き下し文)対(こた)へて曰はく、此れ所謂(いわゆる)螳螂なる者なり。
(現代語訳)御者は)答えて言いました、「これはいわゆる『かまきり』というものでございます。」

(原文)其為虫也、知進而不知却。不量力而軽敵。
書き下し文)其の虫為(た)るや、進むを知りて却(しりぞ)くを知らず。力を量(はか)らずして敵を軽んず、と。
(現代語訳)その虫は、進むことは知っていますが、退くことを知りません。自分の力量を知りもしないで、敵を軽く見るのです。」と。

(原文)荘公曰、此為人而必為天下勇武矣。
書き下し文)荘公曰はく、此れ人為(た)らば必ず天下の勇武と為(な)らん、と。
(現代語訳)荘公は言いました、「この虫がもし人間であったならば、必ず天下に名をとどろかす勇武の人になるだろう。」と。

(原文)廻車而避之。
書き下し文)車を廻(めぐ)らして之(これ)を避く。
(現代語訳)車をぐるっとまわらせて、カマキリを避けて通りました。

(原文)勇武聞之知所尽死矣。
書き下し文)勇武之を聞き、死を尽くす所を知る。
(現代語訳)勇気と武術を自負する者はこの話を聞き、力及ばずとも死力を尽くしてはたらかないといけないことがあるのを知ったのです。


『文選』や『荘子』では、「蟷螂の斧」は「力の及ばない者が、身のほどもわきまえず、無謀にも強者に立ち向かうこと」の意味で、否定的なニュアンスで使われています。

『淮南子』と『韓詩外伝』では、「力が非力な者でも、ときによっては強敵に身を捨てて立ち向かわないといけないことがある」という意味の、肯定的な使われ方をしています。

蟷螂の斧の用法としては、どちらも正しい使われ方だと思われます。


「蟷螂の斧」を使う例

・たかが一市民が増税に反対しても、蟷螂の斧に過ぎない。(だから無駄だ、の意味で使っている。)

・蟷螂の斧であっても、市民一人ひとりが地道に声を上げ続けることで政治を動かすことができるのだ。(無駄ではない、の意味で使っている。)


似た意味の語

「蟷螂が斧をもって隆車に向かう」、「蟷螂車轍に当たる」

「ごまめの歯軋り(はぎしり)」、「匹夫の勇(ひっぷのゆう)」




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Japanese 故事成語(7) 画竜点睛(がりょうてんせい)


画竜点睛(がりょうてんせい)の意味

物事を完成させるために必要な、最後の大事な仕上げのことです。


故事成語のもとになった出来事・出典

9世紀の中頃、の高級官僚だった張彦遠(ちょうげんえん、生没年不明)の、絵画に関する評論と絵画の歴史をまとめた著書『歴代名画記(れきだいめいがき)』が出典です。

唐代までの中国の有名な画家371人の伝記をまとめた中に、南北朝時代(439〜589年)、梁(りょう)の画家であった張僧繇(ちょうそうよう)の逸話があり、画竜点睛の語が生まれるもとになった話が出てきます。


『画竜点睛』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)張僧繇、呉中人也。
(書き下し文)張僧繇(ちょうそうよう)、呉中(ごちゅう)の人なり
(現代語訳)張僧繇は、呉中の人です。

(原文)武帝崇飾仏寺、多命僧繇画之。
(書き下し文)武帝、仏寺(ぶつじ)を崇飾(すうしょく)するに、多く僧繇に命じて之(これ)を画(え)がかしむ。
(現代語訳)梁の武帝は、仏教寺院を飾るのに、多くを僧繇に命じて、絵を描かせました

(原文)金陵安楽寺四白龍、不點眼睛。
(書き下し文)金陵(きんりょう)の安楽寺(あんらくじ)の四白竜(しはくりゅう)は、眼睛(がんせい)を点ぜず。
(現代語訳)金陵にある安楽寺に描かれた四匹の白竜(四海を治める青竜・白竜・赤竜・黒竜の一つ)には、瞳は描かないままでした。

(原文)毎云、點睛即飛去。
(書き下し文)毎(つね)に云(い)う、睛(ひとみ)を点ぜば即(すなわ)ち飛び去らん、と。
(現代語訳)(張僧繇は)常に言っていました、「睛(ひとみ)をかきくわえたら即座に飛び去ってしまうであろう」と。

(原文)人以爲妄誕、固請點之。
(書き下し文)人以(も)って妄誕(もうたん)と為(な)し、固くこれに点ぜんことを請(こ)う。
(現代語訳)人々は張僧繇の言葉をでたらめだとみなして、竜の絵に睛(ひとみ)をかきくわえるように強く頼みました。

(原文)須臾雷電破壁、両龍乗雲、騰去上天。
(書き下し文)須臾(しゅゆ)にして雷電(らいでん)壁を破り、両龍(りょうりゅう)雲に乗じ、騰去(とうきょ)して天に上(のぼ)る。
(現代語訳)(張僧繇が睛(ひとみ)をかきくわえると)たちまち雷と稲妻が壁を破り、二匹の竜は雲に乗り、飛びあがって天に昇っていきました。

(原文)二龍未點眼者見在。
(書き下し文)二竜未(いまだ)眼(まなこ)を点ぜざるものは、見(げん)に在(あ)り。
(現代語訳)二匹のまだ目をかきくわていない竜は、まだもとのまま現存しています。


画竜点睛の語は、「画竜点睛を欠く」という使われ方をすることが多い。

「画竜点睛を欠く」は、「最後の詰めが甘い」、「せっかくいいところまできているのに、肝心な最後のことができていないから、結局不完全に終わってしまっている」という意味で使われます。


また、「がりょうてんせい」が正しい読み方ですが、「がりゅうてんせい」と読む人もいます。
間違いとまでは言えませんが、国語のテストなどでは「がりょうてんせい」と読んでおくほうが無難です。


画竜点睛の「睛」の字は「ひとみ」という意味の漢字であり、「はれ」の「晴」とは別の字です。
画竜点「晴」と書くと間違いになってしまいます。


「画竜点睛」を使う例

・テストの四字熟語の問題で、正しく読むことができたし、正確な漢字を書くこともできたが、例文を作る問題でミスをして画竜点睛を欠く結果となってしまった。


似た意味の語

点睛開眼(てんせいかいげん)


対照的な語

画竜点睛は、完全にするために最後の仕上げをすることであり、逆に、完全なものに余分なものをつけ加えるのが「蛇足(だそく)」です。




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Japanese 古文を読もう・14 『耳嚢(みみぶくろ)』


「古文を気楽に読もう」の(14)は、根岸鎮衛(ねぎしやすもり(しずえ))の随筆『耳嚢(耳袋)(みみぶくろ)』です。

根岸鎮衛(1737年〜1815年、田沼意次、松平定信の頃に活躍)は江戸時代の旗本で、幕府の役人として業績のあった人です。
下級旗本の三男でしたが、根岸家の養子となり、能力を発揮して出世、佐渡奉行、勘定奉行、江戸町奉行を歴任しました。
世情に通じ、名奉行として庶民の評判もよい人でした。小説やドラマで有名な遠山景元や長谷川平蔵と似た人柄であったようです。

『耳嚢』は、世間の噂話や風聞を聞き書きした、全10巻1000編に及ぶ根岸鎮衛の随筆です。

今日とりあげるのは、「畜類また恩愛深き事」です。

まず、本文を、(1)音読を心がける、(2)「作者の伝えたいことは何か=何がおもしろい(興味深い)のか」を理解する、の2点に留意して、読んでみましょう。


『畜類また恩愛深き事』

天明五年の比(ころ)堺町にて猿を多く集め、右猿にあるいは立役(たちやく)あるいは女形(おやま)の芸を致(いた)させ見物おびただしき事あり。

見物せし者に聞きしに、「よく仕込みしものにて、当時流行役者の意気形(いきかた)をのみこみ、身振りなどをもしろき事」の由かたりぬ。

しかるに右猿の内子を産みしありしが、芸に出るにも右の子を省み寵愛すること哀れなりしが、

だんだんその子成長せしに、ことのほか虱(しらみ)たかりてうるさかりし故(ゆえ)、猿回しの者湯をあびせ虱などとりて、毛の濡れたるを干さんため二階の物干しにつなぎ置きけるを、

鳶(とび)の見つけてくちばしをもって突き殺しぬるを、猿回しもいろいろ追い散らして介抱をせしがついにむなしくなりける故、

かの猿まわし親猿を呼びて、さてさて汝(なんじ)が多年出精(しゅっせい)して我(わが)家業にもなりし。


このほど出産の小猿を愛する有りさま、さこそこの度の分かれ悲しく思ひなん、


我も鳶の来るらんとは思ひもよらず、物干に置きし無念さよと慰めけるに、

かの猿泪(なみだ)に伏し沈みたる体(てい)なりしが、

猿回しの者その席を離れとかくするうちに、かの母猿狂言道具のひもを棟(むね)にかけてくびれて死せしとなり。

哀れなる恩愛の情と人の語りはべりぬ。



読むときのヒント

天明五年の比(ころ)堺町にて猿を多く集め、右猿にあるいは立役(たちやく)あるいは女形(おやま)の芸を致(いた)させ見物おびただしき事あり。

堺町=江戸にあった町の名前。歌舞伎の中村座や、人形芝居、見世物小屋などがあった。
立役(たちやく)=歌舞伎で、善人の男の役
女形(おやま)=歌舞伎で、女役


「右猿に」=「そのさるに」
縦書きの文章で、先に出てきたものをさすときに「右」と言います。

見物せし者に聞きしに、「よく仕込みしものにて、当時流行役者の意気形(いきかた)をのみこみ、身振りなどをもしろき事」の由かたりぬ。

意気形=動作や形

「し」=「〜した」
「し」は、回想の助動詞『き』の連体形です。
「見物せし者」=「見物した者」
「聞きしに」=「聞いたところ」
「仕込みしもの」=「仕込んだもの」


「由」=「趣旨、〜というようなことを」

「語りぬ」=「語った」
「ぬ」は完了の助動詞。

しかるに右猿の内子を産みしありしが、芸に出るにも右の子を省み寵愛すること哀れなりしが、

省み=ふり返って

「しかるに」=「さて」「ところで」
「哀れ」「かわいそうだ」「気の毒だ」

だんだんその子成長せしに、ことのほか虱(しらみ)たかりてうるさかりし故(ゆえ)、猿回しの者湯をあびせ虱などとりて、毛の濡れたるを干さんため二階の物干しにつなぎ置きけるを、

「虱(しらみ)」=動物に寄生して血液を吸う昆虫。昔は、衛生状態が悪く、しばしば人や動物に寄生しました。しらみがつくと、ひどいかゆみに苦しめられます。
駆除薬がない時代には、湯で殺したり流したりして駆除しました。

「干さん」=「干そう」
「ん(む)」は、推量の助動詞。ここでは「意志」を表わします。

鳶(とび)の見つけてくちばしをもって突き殺しぬるを、猿回しもいろいろ追い散らして介抱をせしがついにむなしくなりける故(ゆえ)、

「鳶(とび)の」=「鳶が」

「突き殺しぬるを」=「突き殺したのを」
「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。


「むなしくなりける故(ゆえ)」=「死んでしまったので」

かの猿まわし親猿を呼びて、さてさて汝(なんじ)が多年出精(しゅっせい)して我(わが)家業にもなりし。

出精(しゅっせい)=物事に励むこと

「さてさて」=「それにしても」

「汝(なんじ)」=「おまえ」

このほど出産の小猿を愛する有りさま、さこそこの度の分かれ悲しく思ひなん、

さこそ=さぞ、さだめし、きっと

「さこそ」=「さぞ」「さぞかし」

「思ひなん」=「きっと思っているであろう」
「なん(なむ)」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「ん(む)」


我も鳶の来るらんとは思ひもよらず、物干に置きし無念さよと慰めけるに、

「来るらん」=「来るだろう」
「らん(らむ)」=は、推量の助動詞。

かの猿泪(なみだ)に伏し沈みたる体(てい)なりしが、

「体(てい)」=「ようす」

猿回しの者その席を離れとかくするうちに、かの母猿狂言道具のひもを棟(むね)にかけてくびれて死せしとなり。

狂言道具=芝居に使う道具
くびれて=首をくくって


「とかくするうちに」=「あれやこれやと」「いろいろと」

「死せしとなり」=「死んだそうだ」
「なり」は、推量の助動詞。ここでは伝聞の意味。


哀れなる恩愛の情と人の語りはべりぬ。



文の主題(テーマ)を読み取ろう

題名の、『畜類また恩愛深き事』に尽きます。

人間以外の動物も、恩愛の情が深い。
そのことを、見世物小屋の猿を例に述べたものです。

しかし、真意は、猿でさえわが子の死には絶望して自殺してしまう、ましてや人であれば、どれほど悲しくつらいであろうかという、人々の共通認識の確認にあります。


せっかく読んだので、ついでに出題された問題も解いておきましょう

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

天明五年の比(ころ)堺町にて猿を多く集め、右猿にあるいは立役(たちやく)あるいは女形(おやま)の芸を致(いた)させ見物おびただしき事あり。

見物せし者に聞きしに、「よく仕込みしものにて、当時流行役者の意気形(いきかた)をのみこみ、身振りなどをもしろき事」の由(1)かたりぬ

しかるに右猿の内子を(2)産みしありしが、芸に出るにも右の子を省み寵愛すること哀れなりしが、

だんだんその子成長せしに、ことのほか虱(しらみ)たかりてうるさかりし故(ゆえ)、猿回しの者湯をあびせ虱などとりて、毛の濡れたるを干さんため二階の物干しにつなぎ置きけるを、

鳶(とび)の見つけてくちばしをもって(3)突き殺しぬるを、猿回しもいろいろ追い散らして介抱をせしがついに(4)むなしくなりける故、

かの猿まわし親猿を呼びて、さてさて汝(なんじ)が多年出精(しゅっせい)して我(わが)家業にもなりし。


(5)このほど出産の小猿を愛する有りさま、さこそこの度の分かれ悲しく思ひなん、


我も鳶の来るらんとは思ひもよらず、物干に置きし無念さよと慰めけるに、

かの猿泪(なみだ)に伏し沈みたる体(てい)なりしが、

猿回しの者その席を離れとかくするうちに、(6)かの母猿狂言道具のひもを棟(むね)にかけてくびれて死せしとなり。

哀れなる恩愛の情と人の語りはべりぬ。


問い一、文章中に、「猿回しの者」の発言として、「 」でくくれるところが一箇所ある。その部分の最初と最後の五字ずつを書きぬけ。

意味をしっかりと読み取るのが基本です。

さらに、「と」を手がかりに見つけることができます。
会話部分があった後、「『と』言いました」の形になっていることが多いからです。

解答 さたさて汝〜し無念さよ

問い二、傍線(1)「かたりぬ」、(3)「突き殺しぬる」の主語をそれぞれ文章中から書き抜け。

解答 (1)見物せし者、(2)鳶

問い三、傍線(2)「産みしありしが」の、「産みし」と「ありしが」の間に言葉を補うとするとどんな言葉が適当か。文章中から漢字一字で書き抜け。

解答

問い四、傍線(4)「むなしくなりける」の現代語訳として最も適当なものを次のうちから選び、記号で答えよ。

ア、疲れてしまった
イ、ばかばかしくなってしまった
ウ、死んでしまった
エ、元気になった


解答

問い五、傍線(5)「このほど出産の子猿を愛するありさま」がわかる十五字前後の部分を文章中からさがし、その最初と最後の三字ずつを書き抜け。

解答 芸に出〜愛する

問い六、傍線(6)「かの母猿〜死せし」とあるが、母猿が死んだのはなぜか。現代語で答えよ。

解答 愛する子猿が死んだことを悲しんだから。



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